私のふるさと自慢
 
 北茨城市は、読んで字のごとく茨城県の最北端、福島県いわき市と境を接する太平洋岸の市です。かつては常磐炭田の「炭坑の街」として大いに栄えましたが、七十年代にはすべてのヤマが閉山。炭住とボタヤマだけが当時の面影をわずかにとどめています。現在人口は五万二千人、市の西北部には,標高八百bの阿武隈山地が連なり、そこを水源とする大北川が太平洋に注ぎ込む自然豊かな街です。

 童謡「七つの子」で知られる、詩人野口雨情は同市の磯原の生まれ。かつて徳川光圀に「観海亭」と命名された雨情の生家は磯原海岸のすぐ近くで、現在県の文化財に指定されています。生家近くの「雨情記念館」には、雨情の数多くの作品が展示され、初期の作品の中には「村の平和」「自由の使命者」など社会主義的な色合いの濃いものもあります。戦時下、軍部から要請されてもけっして軍歌だけは創らなかったという雨情の原点がこれらの作品から感じ取ることができます。

 雨情の愛した磯原海岸の小高い天妃山からの海岸線の眺めは絶景です。北に二つ島や大津港、遠くはいわきしの小名浜港が望めます。あまり知られていませんが、歌人斎藤茂吉が新妻と新婚旅行に訪れた地が磯原です。茂吉は、新妻を連れてこの海岸を歩き「真夏なぎさの寄る波の遠白波の走るたまゆら」と詠んでいます。

 本市には大津港と平潟港という二つの漁港があります。大津港は巻網船でのイワシ漁が中心で周辺にはイワシを原料とする水産加工業が盛んで約50軒の業者があります。平潟港は江戸時代から伊達藩の寄港地として大いに栄えた自然の良港。雨情の「波浮の港」は波浮に行ったことのない雨情が平潟港をモデルに創ったといわれています。 

 この大津港と平潟港の間にあるのが五浦。一九〇六年、岡倉天心が横山大観、菱田春草、木村武山などの弟子と共に日本美術院を東京の谷中から五浦に移し、日本美術の再興をはかりました。しかし、生活は大変苦しかったようで、酒好きの大観などは酒代がわりに芸者の帯や半紙に絵を描いてしのいだ、という逸話が残っています。現在、県立五浦美術館が建設中で九七年秋には開館が予定されています。(現在は開館されています)

 味は何といっても新鮮な魚類、市内には数多くの民宿があり、忘年会シーズンには名物「あんこう鍋」を目当てに県外からも客が訪れています。しかし近年、この詩情豊かな街にも東京電力による世界最大規模(四百万キロワット)の石炭火力発電所の建設が計画されています。そうした中「石炭火発からふるさとの碧い海と空を守ろう」と、石炭火発に反対する住民運動がねばり強く続けられています。
北茨城市議会議員 福田明(月刊「学習」に掲載)

トップへ