地方議員 リレー随筆

 私の「しあわせの歌」 大名 美恵子(おおな みえこ)
東海村会議員

 49年前の8月10日、大百姓の家に生まれた私の家庭は、祖父母、叔父夫婦、2人のいとこ、両親、私と妹の10人家族でした。二男の嫁である母の苦労が少しばかりでなかったことは、幼い頃の私たち姉妹にはよくわかりませんでしたが、「家の中で誰よりも重い荷物をもったこともあったよ」と、いつか母が言っていた言葉を裏づけるように、この大家族を知る何人かの人が「あんたの母ちゃんはよくよく苦労したよ。この辺でもあれだけ大変な思いした人はいないくらいだ。見ていて気の毒になったものだよ。」と聞かせてくれたのは、両親が新宅をし、わたしがずっと大きくなってからでした。

 そんな苦労をしていたときがあったとは思えないくらい、逆にあったからこそか、母の性格はおだやかで、言い争いを嫌います。「いま我慢してがんばって働けば、いつか代がわりもして楽になる頃も来るだろう」と、きっと歯をくいしばって働いたに違いない。その心の強さが穏やかさにつながっているのだろう。

 今、孫が7人(上が23歳、下が中学3年)、大きな心配もなく育ち、農作業は身体に合わせてやりながら、しずかに暮らしています。そして「自分がしたような苦労は、娘たちにも孫たちにもさせたくない」とひたすらみんなの幸せを願っています。

 日本社会を担う私たち子どもの世代が、私たちを育ててくれた親たちがどんな思いで、どんな苦労をしてきたか、しっかり受け継ぎその願いが実るようがんばるときだと思います。

 しかし現実は、生きるための仕事がもてない=A農業を破壊し輸入食物で健康不良=A憲法と教育基本法の改悪をねらい、日本が「いつか来た道」をまたたどろうとする=A子どもたちの心とからだの変化が心配≠ネどなど、「みんなが幸せになるように」と願う親たちの気持ちとはまるで反対です。

 私には両親ほどの我慢強さや頑張る心は残念ながらありません。でも私にできる方法で、多くの親たちの願いを実らせるために働くことはできると思います。日本を、国民一人一人が本当に幸せに、安心して生きていける国の方向へ舵取りする、そのことを多くの人たちと力合わせてやっていくことならできます。

 私たちの親たちの願いは、今親になった私たちの願いでもあります。苦労の中身も度合いも違いますが、私たちなりの頑張りもみせながら「みんながしあわせになれる社会」をめざし、力を尽くしていきたいと思います。

♪♪幸せはおいらの願い 仕事はとっても苦しいが
  流れる汗に未来をこめて 明るい社会をつくること
  みんなと歌おうしあわせの歌を ひびくこだまをおってゆこう
       (作詞  石原健治   作曲  木下航二 「しあわせの歌」より)

※私が、「人々のくらしのなかから生まれ、人々が生きることをはげます歌」(数々のうたごえのうた)にであったのは19歳をすぎた頃でした。働く人も学生もひとつになって、希望にみちてすがすがしくうたう姿に心がふるえたのを覚えています。
 山あり谷ありの私の人生のなかで、感ずるこころを色あせないようにこれからも歌いつづけたいと思います。