保母として、母として
大名(旧姓藤田)みえ子さんは、1954年東海村押延の農家に生まれ育ちました。日立二高、常盤短大を卒業後、水戸の「こばと保育園」の保母として、「どの子もすこやかに全面発達を」と働いてきました。
大名さんは父母と力をあわせて平和運動や保育運動に熱心に関わってきました。 また学生時代から、五色の集いや奥久慈の集い、うたごえ祭典、合唱団活動などに寸暇を惜しんで活動してきました。そのエネルギーの源は、18歳の時に、命がけで戦争に反対し、誰もが平等に幸せに生きる社会をめざす日本共産党を知り、その一員となったことでした。
大名さんは、結婚して4人の子を生み、育てながら、新日本婦人の会の東海支部事務局長、県常任委員として活躍しました。 親子リズムの指導に全県を飛び回り、「消費税を廃止して」、「高校入試の改善を」、「安全な食料を」・・・と、小さな体に大きな夢を乗せて走るワゴン車の走行距離は、年3万キロにも及びました。
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