投 稿
  
ちん電を復活させるには
永 井 孝 二
 11月14日、茨城大工学部100番教室で開かれた、ちん電を守るシンポジウムで次の新聞記事コピーが配られた。この中でいっている「マイカー通勤に転じた彼らを、官民一体で電車通勤に呼び戻そうという発想」は、私が「日立電鉄線を存続させる会」の中でも当初から主張してきたことであった。「存続させる会」が日立市長への要請を行った時も、対応した船橋助役に私はそのことを言った。これに対し助役は「私もマイカー通勤しているが、一度享受した便利さを捨てるのは難しいことですからね」と言った。
 私は「これからの社会は、その便利さを少し抑えてでも、ちん電を守るために、環境を守るために、交通渋滞を緩和するためにみんなで協力し合うことが必要なのではないか。とにかく、4月1日の廃線時期を延期させ、そのような話し合いを電鉄、自治体、住民の間でできるように、行政として努力してほしい」と述べた。
 このあらましは、その後常陸太田市で開かれた高校生主催の「ちん電祭り」のシンポジウムのときも私は会場で発言した。「マイカー通勤に転じた彼ら」という言葉には、マイカーブームのなかで自然とそうなったという感じを受けるが、日立の場合、実際は会社がそれを「奨励」したのである。何故ならマイカー通勤にした方が、深夜残業や交替勤務などをさせやすくなるし、会社支給の交通費を通勤定期代からガソリン代へと大幅に削減することが出来たからである。私は日立国分工場という日立電鉄線沿線の職場で長いこと働いてきたので、このような経過をつぶさに体験してきたのである。
 この新聞記事には、日立が「もうけ」しか頭におかない発想の貧しい企業であること、それに追従して市民の声を訊こうともしない、見にくい日立市政の姿が浮き彫りにされていて、私は快哉を叫ばずにはいられなかった。14日のシンポジウムの結論は、「これからもあきらめずに、存続の運動を続け復活≠追求していくこと。そのためにも向こう5年間は線路の撤去を許さないこと」であったと私は受けとめている。
  筑波言    「企業城下町」          2004.11.14 「読売」

 「ちん電」こと日立電鉄が、沿線住民の存続運動もむなしく、来年3月末の廃止に向かっている。環境に優しく、地域の公共財でもある鉄道が、また1つ姿を消すのは、極めて残念だ。
 単なる郷愁で残すべきだと言うつもりはない。民間会社として経営が厳しかったのも事実だ。ただ、株主の日立製作所や日立市が今回、「マイカー普及で鉄道の役割は終わった」「代替バスで十分対応できる」という姿勢に終始したのは、やはりお粗末 だったという印象がぬぐえない。
 かって利用客の主力は、日製や関連企業に通う従業員だった。マイカー通勤に転じた彼らを、官民一体で電車通勤に呼び戻そうという発想は出なかったのだろうか。
 これは決して、夢物語ではない。同じ企業城下町でトヨタ自動車本社がある愛知県豊田市では、本社工場周辺の交通渋滞解消と環境対策に、同社主導でマイカー通勤者を愛知環状鉄道を使った電車通勤に転換させている。市も「道路を作っても渋滞は解消しない」と賛同、国も民間企業の鉄道通勤を支援するため、輸送力増強へ複線化工事費を補助する。
 自動車メーカーでありながら社員にマイカー自粛を求めるトヨタと、鉄道車両メーカーでありながら、会社発祥の地で子会社の鉄道を残せなかった日立。業績の差よりも、発想力に違いがあったと思わざるを得ない。

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