|
アウシュビッツは本当に終わったのだろうか |
2007年5月 さくらのまち日立平和の会 F生 |
|
5月20日~21日にかけて大宮平和の会・美和緒川平和の会・新婦人大宮支部等が取り組んだ、アウシュビッツ平和博物館見学会に参加させていただいた。約40人の参加で楽しく有意義な2日間となった。博物館を見学して強く印象に残ったのは、「アウシュビッツの子どもたち」(青木進々著・グリーンピース出版会)から抜粋したという文章だった。照度を落とした館内板壁のスポットライトの中に、本のコピーのような形で紹介されていた。 1945年5月、ナチスドイツは滅びた。 いま・・・アウシュビッツには親をさがす子どもたちの泣き声も、子をさがしてドイツ兵とどなりあう親の声もない。収容所のあとはそのまま残され、博物館になっている。ドイツは、ナチスのしたことを人道に対する犯罪だったと認めて、いまでもつぐないをつづけている。 でも、アウシュビッツはほんとうに終わったのだろうか? ヒトラーは死んだ。ナチス・ドイツも滅びた。でも、ヒトラーを尊敬する人はいまでもいる。かれらは「ネオ・ナチ」とよばれ、その数はふえつづけている。 なぜだろう・・・ いま、私たちの心の中に、「優秀な人間」と「だめな人間」とを分けようとする考えがないだろうか? みんなと同じことをできない人を「だめなやつ」だと決めてしまうことはないだろうか? みんなとちがう意見をいう人を「じゃまなやつ」だといって、仲間はずれにすることはないだろうか? 強い者にきらわれたくなくて、いけないことが分かっているのに、やってしまうことはないだろうか? 自分さえ得すれば、「他の人なんかどうでもいい」と、思うことはないだろうか? あの時のように・・・ アウシュビッツは、狂った人びとが、まちがえて作ったものではなかった。ドイツ人がどうかしていたのでもなかった。 ただ、自分が困った時に、もっと困っている人びとを思いやれなかった。自分さえ安全なら、ほかの人がすこしくらい苦しんでも、すこしくらい死んでもしかたがないと思っていた。 自分が優秀で正しいと思うあまり、自分がほんとうはなにをしているのか、分からなくなっていた。 もしかしたら、アウシュビッツで罪をおかした人びとは、みんなどこにでもいる、ふつうの人たちだったのではないだろうか? 私たちと同じように・・・ アウシュビッツはほんとうに終わったのだろうか? ガス室は、ほんとうに消えたのだろうか? 120センチの棒は、もうないのだろうか? 私たちの心の中に、アウシュビッツは、ほんとうにないのだろうか? 展示物にもあった「120センチの棒」というのは、身長を測るための基準とされた横棒である。その高さに背が満たない子どもたちにはすぐにガス室が、通れなかった者たちには強制労働とやがて来る死が待っていた。 この150万人の大虐殺は単なる歴史的事件としての記録で終わらせてはならないと思う。条件さえ整えば、再び起こり得るのではないだろうか。私には、館の展示の視点はここにあるような印象を受けた。 ヒトラーが政権を取る前に、「彼の言っていることは危険だ」と何らかの行動をとる人がたくさんいたなら、こんなことは起こらなかったかもしれない。しかし、人々の多くは歴史の流れに無関心であったり、「保身のための防衛」の中にあった。 昨今の自衛隊の動きや異常な強行国会などを見ていると、このままでは、この日本でも形を変えて再現されるのではないだろうかとまで思ってしまう。「徴兵制」などの言葉が聞こえるようになった日本、あながち外れていないかもしれない。今こそ、社会への関心と真の勇気が求められているのではないだろうか。 |
アウシュビッツ平和博物館(福島県白河市 ホームページ)=写真撮影も筆者 |
|