横井久美子 「命を分かち うたう人生の賛歌」
9月11日(土)、ひたちなか文化会館でおこなわれた横井久美子コンサートに参加した。歌い続けた35年、時には苦しんだり落ち込みながら、しかしそんな中で、これからがゴールデンエイジと言い、逞しさと前向き一杯のシンガーソングライター・横井久美子さん。
芸術を愛し信じ接する人ほど感受性は高く、人一倍悩む。至高を求め続けるから苦しみがやまない。しかし、彼女は単なる孤高の歌手としてではなく、広く人々と大地に深くつながってきたところに一番の魅力がある。それは、上野駅から函館に向かった30年以上前に始まった。ドックに働く人たちと一緒にうたった。また、じん肺で鼻から酸素パイプを離せない生涯を背負った人、スモンの患者さんの訴えや苦しみ、争議などで震えながら立ち上がる人達のつらさや不安だらけの家族の涙や苦しみなど、自分の体の一部として自分に分けてずっとうたい続けてきた。働く女性や母親の視点からの歌、人間の尊厳・正義を求める歌、国際的な平和や人権を守る運動の歌、等々彼女の歌の範囲はとても広い。人それぞれの生涯のなか、今まだ知っていないことの方が圧倒的に多いのは当然だが、あくない欲望をそれらの中に深く求め、一つひとつの事実に自分を正面からダブらせて、時には楽しいエピソードを織り交ぜながらユーモラスにうたっている。
20代の頃から、海外の戦地などでたたかう人達とも一緒に活躍を続けてきたから民族を越えた素晴らしい歌もうたえるのだろう。砲火や爆音や泥地のなかでもギターひとつでうたってきた。パンフレットの中の田島征三さんという画家の文章に、「ベトナムで 『ヨコイクミコ!センシャトウサナイ!』 と話しかけられた」ということが載っていた。「戦車は動けない」の歌だ。また同じパンフレットで、Gordon さんが、" I think that artists have a duty not only to perform their art well, but also to have a social conscience." と書いている。彼女は、それを最も大事にしている歌手のひとりだと思う。歌を声楽という技術や芸術の一部としてのみ消化すれば、他にも素晴らしいシンガーがたくさんいるだろう。しかし、今現実に苦しむ人々の心や痛みを自分のこととして受け止めて歌っている人はそう多くはない。台詞を読む人にも体験や実見が土台となる、それ以上に彼女はたたかいの現場に幾度もその身を置いてきた。そこには焼き付けられた幾多の人々のおののきや戦慄や凄惨な実態、確信にあふれた明るさなどが宿り流れている。
それらが彼女の歌の素晴らしさの源になっているように思う。彼女の歌は、「命を分かちうたう人生の賛歌」とも言えるのではないだろうか。
ハリとつやがあり正確なピッチの伸びやかな歌声、もろ手をあげて大拍手を送りたい、そして永くながく元気でいて欲しいと願う。今、私の車のステレオは彼女の歌が毎日流れている。
VIVA 久美子。 (F)
日本共産党日立金沢後援会ニュース(2004 年9 月26 日)より
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