日本共産党茨城北部地区委員会                                   

                   父よ 日本に還ろう      松野 博樹
あと三十分でサイパン
機内放送があって
私はずっと真黒な窓に額をつけていた  
青い灯が二つ見えた
サイパンだ

お父さん僕だよ
僕が来たんだ
遅すぎてごめん

灯が増えてきた
一九八九年八月三十日 午前二時
私はサイパンの土を踏んだ

一九四四年四月
ヨコハマの万国橋で
大きく手を振って
橋の向う側に消えていった父
あれが最期だった
最期の父の姿だった
四十五歳の父だった
その父にあうために
その父を連れて還るために
四十五年が過ぎていた

暗く 蒸(む)し暑く
サイパン空港は雨だった

お父さん ぼくが来たんだ
遅くなりすぎたよね お父さん
ぼくはお父さんを迎えに来たんだ
そのためにサイパンに来たんだ



生きていれば九十歳だね
お母さん元気だよ
お父さんが戦死してから
五十日たって産まれた女の子も
四十五歳、富枝というんだ
孫が七人 曾孫も三人いるんだお父さん  

さあ還ろう ぼくが来たんだ
ぼくと一緒に日本に還ろう


君等知らずや
君等に遅れしこと四十五年

大君の邊(へ)にこそ死なめ

その昭和大君(おおきみ)逝きしこと
戦いの責め
遂に言はずて
年改まりぬ
新しき羞(はず)かしき
元号

君等知るや
知らずや

○ 海ゆかば 海青くして青くして
○ 夏の雲 還らざる人多かりき
○ 海底にわれ荘厳を見たりける
○ 水漬く屍 海底に船横たわる
○ かへりみはせじ 残骸の戦車兵いづこ
○ 草むす屍 父あのあたりタポチョ山

 父の霊抱き還らむと石一つ
         サイパン空港午前三時ぞ

 二〇〇五年も終わりに近づいている。そうして改憲の色が濃くなっている。何と恐ろしい世の風潮であろう。「改憲を主張するバカ犯罪者」。戦火で死んでいった人たち、空襲で命を失った人たち、特攻隊の人たち、無言館に眠る人たち、父や夫やわが子を喪った人たち、日本人だけでない、多くのアジアの人たち、そしてアメリカの人たちの事をどうして考えないのか。武力やテロで平和が実現できないことをどうして分からないのか。不思議でならない。なさけないことこの上なしである。
日本共産党日立金沢後援会ニュース(2005年11月3日)より
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