投 稿

 
第4回「人間レーニン紀行」  スイス・フランスの旅

                                       永井 孝二
   →(1)〜(10)

 (11)偶然、アンリ画伯と遇う

ミッシェル・アンリ、レマン湖のブーケ(40 F)
 ロンジュモの党学校から専用バスで移動し、そう遠くないところにある”レーニンたちが利用した印刷所”を見に行った。ここは現地ガイドの黒川のり子さんが調べて見つけてくれた所だった。

 私たちの到着を待っていたかのように、隣の家から恰幅のいい老紳士が出てきて、建物の中へ案内してくれた。中は画廊のようになっており、その人と友人たちの絵が飾ってあった。たまたま、そこにあった日本語のパンフレットで、この老人はミッシェル・アンリというフランス画壇のトップに立つ人であることが分かった。氏は、1928年生まれで、1984年フランス最高峰の勲章「レジオン・ドヌール」勲章を授与されていた。

 「ポピーの王様」「幸せを呼ぶ画家」として知られ、シラク現フランス大統領は親友であるという。また、1999年、2000 年(花と緑の博覧会)、2001年、2003年2月と来日していることも分かった。

 

 (12)ひと足早いさよならパーティ
 8月26日ホテルの外のレストランで、ひと足早いさよなら夕食会がもたれた。会場は石造りの格好の部屋であった。藤野先生の部屋で「愛する人」を告白したIさんが、スピーチの

左から則子さん、Fさん、歌うI さん
あと「あんずの花」を歌った。

♪あんずの木に/あんずの花が咲くように
 この国に明るく花を/咲かせたい
 五月の太陽が/大地をあたためるように
 みんなの頭から/足の先まで/明るい光でつつみたい♪


 戦後、山形大学生たちに愛唱され、その後口うつしに広まり歌い継がれてきたが、作者不詳で譜面がなく、歌う人によって曲が微妙に違っているという。

 私は、みなさんの若い頃を想いだしながら聴いて欲しいと言って、ロシア民謡「川岸のベンチで」を歌った。
 歌い終わると、Fさんが「永井さんの奥さんを想いだした」といった。妻は第2 回(モスクワ・チェコ・ポーランド)に参加しているからである。

 

 (13)パリにひびくうた声

 パリのレストランで行われた私たちのさよならパーティ≠フラストは、藤野先生のスピーチでしめくくられたが、その前にわれらが歌姫≠rさんがシャンソン「街」を歌ってくれた。

Sさん(右)の歌を陶然と聴く藤野先生

♪ 街よ街よ心のふる里
私は今日もまたさまよい歩く
かざり窓ひやかして歩いているだけで
なんとなく胸はずむ気のおけない街よ
くり返しくり返し読んだ本のように
心からうちとけて語りあえる街よ
街よ街よ心のふる里
私は今日もまたさまよい歩く♪

 Sさんは、歌詞3番までをたっぷりと歌った。その美しいうた声は、全員を魅了せずにはおかなかった。
 何とこのパーティにふさわしいうた声であったことだろう!

 

 (14)レーニンと「新綱領(案)」
 「さよならパーティ」に藤野先生は、レーニンの肖像とマクドナルドのロゴの入ったTシャツを着てきた。
 奥さんからのすすめだといい、「ソ連崩壊後のモスクワの産物です」と紹介した。そして、日本共産党の新綱領(案)について次のように語った。1961年の第8回党大会で作られた現在

レーニンのTシャツ姿で話す藤野先生
の綱領は、植民地問題が大きな問題だっただけに、レーニンの「帝国主義論」が活かされている。
 今度の新綱領は、その植民地が世界中から基本的になくなった状態で、帝国主義をどうみるのかという新しい理論展開がなされている。21世紀のこの資本主義社会から、どのようにして自由と平等の国、社会主義・共産主義の国を築いていくのか。階段を一歩一歩踏んで、しかし、決定はすべて国民がやるんだという、民主的な方針が具体的に示されている。
 こんな具体的な綱領をもった党は他にはない。
 私は、これで日本共産党は戦後に決着をつけたと思っている。
 

 (15)水とPCと「帝国主義論」
 私は数年前から、“水を飲む健康法”を実施しており、このツアーにも2リットルのボトル5本を持っていった。

レーニンが住んだアパートの近くで(ベルン)

 ところがホテルが同室になったKさんは、500ミリリットルのボトル10本を持ってきたので驚いた。
 今年の2月ベトナムへ行ったとき、私は自分のノートパソコンで、日本へメールを送ることが出来た。もっとも添乗員の助けがあったからだったが。今回もPCに挑戦したがうまくいかなかった。帰りのパリ空港で「来年は大丈夫でしょう」と則子さんが慰めてくれた。
 ツアー最初の日、成田からチューリッヒまで丁度12時間かかったが、その間、私は機中でレーニンの「帝国主義論」(文庫版)を読んだ。
 最後の一章を読み残してしまったが、「日本帝国主義」という言葉が二度も出てきたのには驚いた。

 

 (16)友からの手紙
 朝起きてから朝食までの時間、ホテルの外に散歩に出る人が多かったが、私は500ミリリットルの水を飲みながら、部屋でせっせと絵葉書を書いた。次はMさんからの礼状である。「永井さん、パリのホテルからのお葉書、大変驚きながら、とても嬉しく頂きました。そのピカソの絵葉書をみつめながら、様々なことを想い出しました。

凱旋門をバックに
 “モンパルナスの灯”という映画がとても好きだった20代の頃、ランボー詩集に夢中だった高校生の頃、サガンの小説を幾らかの反感を抱きながらも、数多く読んでしまった19歳の春。永井さんからのパリの風で青春時代が甦りました」。
 最近、私から藤野先生の著書『人間レーニン』を購入したOさんは、さっそく次の感想を寄せてくれた。
 「“人間レーニン”読了しました。スイスほか滞在中、自分などが予想してなかった、きびしい条件下に強固に奮闘したこと。ゴーリキーでさえ、理解不良、荷物だったこと。何度も政敵となったものを信じられない寛容さで包容していったこと等、改めて教えられること大でした。レーニン紀行も、よくこれだけと思うくらいに克明に追求されて感動しました」。 (おわり)

                                   (日立市「金沢支部ニュース」より)